「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


 『日本書紀』の箸墓 ~ 卑弥呼の墓赤村説 ~

※ 『日本書紀』の箸墓 ~卑弥呼の墓赤村説~
 (令和3年3月14日、邪馬台国講演会 邪馬台国は北部九州にあった、ビーポート甘木中ホール)より

 神代の倭国(豊国)と鷹羽の神々

<『日本書紀』の箸墓 ~卑弥呼の墓赤村説~(その3)「白村江戦後~壬申の乱、鷹羽の神々」>

田川の語源は鷹羽
 天武が隠した鷹羽の神々
豊前州田川郡龍之鼻権現縁起
木村晴彦『香春・英彦山の歴史と民俗』所収
 筑紫の国は身ひとつにして面よつあり、
其ひとつを豊国豊比咩とも又は豊日別婦
ともいへり、その国に郡八あり第一乃郡
彦の山あり、田心姫命います故に其所を
心乃国
と云しとかや、其山に三乃あやしき
ありてつねにすめり、此鳥今の龍が鼻
と云へる所にやゝもすれば、かけり行ぬ、
其あいだ、鷹の羽乃落ちたる所かならず幸
あれば
とて、落ちるかぎりの里を又鷹羽郡
と云
ける
が、白鳳の比おひよりや、田川郡
と名付たる
といへる事は、田と河とのたれ
る所なればなり、
白鳳(元年673 ~ 十三年685)
豊日別婦
 豊日別国魂大神(大物主)の妻
弥生時代の実年代
「国立歴史博物館による弥生時代の実年代」
神代の倭人の記録
論衡
「周時天下太平 倭人來獻鬯草」  
(異虚篇第一八)
「成王時 越裳獻雉 倭人貢鬯」  
(恢国篇第五八)
「周時天下太平 越裳獻白雉 倭人貢鬯
 草 食白雉服鬯草 不能除凶」  
(儒増篇第二六)
『漢書』地理志
「然東夷天性柔順、異於三方之外、故
 孔子悼道不行、設浮於海、欲居九夷
 有以也夫。樂浪海中倭人、分爲
 餘國
、以歳時來獻見云。」  
(燕地)
「會稽海外有東鯷人分爲二十餘國」  
(呉地)
卑弥呼の時代の東アジア
後漢時代の地図(朝鮮半島・西日本を含む)
神代の倭人の居住地
Google Earth「福岡県Flood Maps」

筑紫国

豊国

神代 ~ 神功の豊国
宋史 日本國(王年代紀)
 其年代紀所 記云、初主號 天御中主 。
次曰 天村雲尊 、其後皆以 尊爲 號。次
天八重雲尊、次天彌聞尊、次天忍勝尊、次
波尊
、次萬魂尊、次利利魂尊、次國狭槌尊
角龔魂尊、次汲津丹尊、次面垂見尊、次
常立尊
、次天鑑尊、次天萬尊、次沫名杵尊
伊弉諾尊、次素戔烏尊、次天照大神尊、次
正哉吾勝勝速日天押穂耳尊、次天彦尊、次
、次彦瀲尊、凡二十三世、並都 於筑紫日
向宮
 。
 彦瀲第四子號武天皇 自筑紫宮入居大和
州橿原宮 即位元年甲寅(前六六七)當周僖
(恵)王時也 次綏靖天皇 次安寧天皇 次
懿德天皇 次孝昭天皇 次孝(安)天皇 次
孝靈天皇 次孝元天皇 次開化天皇 次崇神
天皇 次垂仁天皇 次景行天皇 次務天皇
 次仲哀天皇 國人言爲鎮國香椎大神 次
功天皇 開化天皇之曽孫女 又謂之息長足姫
天皇
 國人言爲太奈良姫大神

彦御山宝印 - 天御中主
古事記 別天神五柱
 天地初めて發けし時、高天原に成り
し神の名は、天之御中主神、次に
(鷹)御産巣日神
、次に神産巣日神

この三柱の神は、みな獨神と成りまし
て、身を隱したまひき。
「彦御山宝印」

弥生時代の倭国=豊国の歴史



 

 

 

 



 

 

 

 


660


300


 


 


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14


57

 
 

大物主 八千矛の時代

 
 

火カグツチ(火男)
八俣の大蛇(八幡神)「天叢雲剣」

 
 

伊弉諾尊 細型銅剣の時代

 
 

遠賀川式土器 立屋敷遺跡

 
 

すずり、鋳造鉄斧 下稗田遺跡
前漢式鏡、刀子、絹 立岩遺跡

 
 

素戔嗚尊出雲王朝を創建

 
 

天照大神笠置山に降臨、倭奴国
天の金山の鐵から鏡製作

 
 

ウマシマデの東遷
後漢の光武帝金印を下賜



 

 

 

 







1C
 

107
 

121
 

146
189

200
 

239
 

260
 

320
  

 
 

(漢)委奴国栄える

 
 

倭面上国王帥升生口献上
金銀錯嵌朱竜紋鉄鏡下賜か

 
 

神武天皇即位邪馬台国創始

 
 

倭国大乱

 
 

卑弥呼共立

 
 

帯方郡(魏)に遣使
遠賀川流域に後漢式鏡

 
 

日本武尊「草薙剣

 
  

神功皇后征西

倭成す大物主日子山の起源
 三柱の神の続きにこうある。
 次に国稚く浮ける脂の如くして、海月
なす漂えるとき、葦牙の如く萌え騰る物
によりて、成りし神の名は宇摩志阿斯訶
備比古遲神
、次に天之常立神。この二柱
の神もまた獨神と成りまして、身を隱し
たまひき。
 上の件の五柱の神は、別天つ神
 葦牙とはおよそ水稲のことである。すると、
宇摩志阿斯訶備比古遲神とは我が国に稲をも
たらした神であり、弥生時代の始まりの神で
ある。
 この「比古遲神」が古事記の「八千矛の神」
の段に別の表記で現れる。
 又其の神の嫡后須勢理毘売命、甚く嫉
妬為たまひき。故、其の日子遅の神和備
弖、出雲より倭国に上り坐さむとして、
倭国の始まり-倭成す大物主
 大物主は別名「八千矛の神」でもある。
 この神が引き連れてきた部族こそおそら
物部氏二十五部族であろう。
 銅矛の出土状況がそれを裏付ける。
「銅剣・銅鉾・銅戈文化圏と銅鐸文化圏地図」
英彦山豊前住(鷹巣)神社
 豊日別国魂神=大穴牟遅神
 (大物主神=大己貴神)
豊前坊高住神社(添田町)
鷹羽の神々の正体
 添田町中元寺の瀬成神社の伝承に、「金の
原(錦原)に、日本で農耕の神と称えられる
、伊勢神宮外宮の保食神(豊宇気姫神)を先
づ祀り、次に災難や穢れを祓う瀬織津姫の神
と、水門を司り、水を支配する速秋津姫神を
祀って、治水を果した
ということで、中元寺
の郷の、地形と、農耕文化発祥の過程が物語
られているように思われます。」とある。
 金の原の東の庄原遺跡からは、金属溶解炉
やりがんな鋳型が出土している。
 弥生時代の田川には農耕文化が発祥してい
て、豊宇気姫神が祭られていたことは間違い
なかろう。
Ⓒ添田町教育委員会
写真「庄原遺跡のやりがんな鋳型」
「金属溶解炉跡」

 伊弉諾尊~神武第一次東征  に続く ・・・ 弥生前期から弥生中期の王朝交替