「邪馬臺國=鷹羽國」説
(福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
伊都国の歴史
(2)天忍穂耳尊は「月氏」より渡来し、直方市(伊都国)に上陸
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地図の中心にある匈奴は、遊牧民の部族連合体であったが、紀元前209年以降に冒頓 単于が匈奴帝国を建国した。その「匈奴」は、「きょうど」と読まれるが、呉音では「くぬ」と読む。
この地図の匈奴の南に月氏という国が見える。
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『彦山権現垂迹縁起書』に権現(天忍穂耳尊)は、上記地図にある月氏の国から来た渡来人だと記されている。
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天忍穂耳尊は、新・物部氏の祖 饒速日尊の父である。
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旧鞍手郡の地図にある7:下境村(現直方市)から9:木屋瀬村(現八幡西区)へ向かう遠賀川一帯の低地にある津が鷹津とある。
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直方市頓野の小野牟田池の所は、旧遠賀湾が入り込んでいた。そこには近津神社があり、西隣にあるのが高津の森である。ここが、『鞍手郡誌』の編者が曰う「鷹津」である。渡来してきた天忍穂耳尊は、この津に上陸した。
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原の辻貿易という楽浪式土器伝播図のルート、樂浪郡から朝鮮半島の南端にある勒島や茶戸里と通り壱岐の原の辻を経由して、福岡県の比恵・那珂・須玖・三雲から樂浪式土器が出土している。
このルートが、『古事記』にある天孫降臨の時代から存在する。「伊都能知和岐知和岐弖」とあるように天忍穂耳尊が「伊都(鞍手郡の遠賀湾沿岸)」の道を押し分け、かき分けて降臨した訳である。