倭歌は歴史を詠う 「豊国の万葉集」 於:小倉城庭園研修室 記紀万葉研究家 福永晋三
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「万葉集」巻第二 相聞(そうもん)
難波高津宮御宇天皇代 (大鷦鷯(おほさざき)天皇、謚曰二仁徳天皇一)
(85〜88番)
磐姫(髪長媛)皇后思二天皇一御作歌四首
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髪長媛(古波儾(こはだ)嬢女(をとめ))の歌
明日香清御原(きよみはら)宮御宇天皇代 (天(あまの)渟中原(ぬなはら)瀛(おきの)真人(まひと)天皇、謚曰二天武天皇一)
(103番)
天皇賜二藤原夫人一御歌一首
(104番)
藤原夫人奉レ和歌一首
赤村大原(おおばる)の大雪を気遣った歌
※
【107番、108番、110番、109番、105・106番の順】
悲運の大津皇子に纏(まつ)わる歌
(107番)
大津皇子贈二石川郎女(いしかわのいらつめ)一御歌一首
(108番)
石川郎女奉レ和歌一首
(110番)
日並皇子尊(ひなみしのみこのみこと)贈二賜石川女郎一御歌一首 (女郎字曰二大名兒一也)
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草壁皇子:『万葉集』では、日並皇子
(109番)
大津皇子竊婚二石川女郎一時、津守連通占二露其事一、 皇子御作歌一首 未レ詳
(105・106番)
大津皇子竊下二於伊勢神宮一上来時、大伯皇女(おおくのひめみこ) 御作歌二首
(131・132・133番)
柿本朝臣人麻呂従石見國別妻上来時歌二首 并短歌
人麻呂、鞍手町新北へ帰る
134〜137番はありません。