倭歌は歴史を詠う 「豊国の万葉集」
於:小倉城庭園研修室 記紀万葉研究家 福永晋三
「万葉集」巻第一 雑歌 8番 (神功皇后が新北津を船出する時の歌)
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2022年10月22日の「豊国の万葉集② 神功皇后編」および 2019年6月13日の「宮若歴史文化講座 伊予の熟田津の石湯」等も引用しました。
万葉集8番歌は、題詞は、額田王の歌となっている。そして、通釈は、船遊びである。
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左注に「後岡本宮馭宇天皇」とあるように斉明天皇となっているが、その中に「御船西征」という語句があるようにこれは、神功皇后の征西だった。
また、「伊豫熟田津」を現在の愛媛県松山市の道後温泉の所だとしている。
8番歌にある「熟田津」は、古遠賀湾図に示す鞍手町の新北である。
8番歌の左注に「伊豫熟田津石湯行宮」とある伊豫という地名については、鞍手郡内の一部に残されている。また、「贄田物部氏が四国の伊豫に移動した」という事も民俗学者である鳥越憲三郎氏や谷川健一氏が、本に書かれている。
山崎光夫氏は、昭和三十八年にボーリング調査に基いて、この古遠賀湾図を描いた。
20~30㍍程度の土砂が堆積した新北津跡である。
8番歌は、額田王の歌でもなければ、斉明天皇の歌でもない。神功皇后が、新北津を船出をする時の歌、進軍する時の歌とした。
何故、満月を待って船出をしたかというと、下図に示す現在の新北から芦屋浦までの遠賀川の水深が関わっていた。古月から下流に行くと島津までが水深が1m程の浅瀬になる。この浅瀬の所を安全に越える為に、満月の大潮の満潮時を待って船出をした。
歌の内容が、地形とも合ってきている。