「邪馬臺國=鷹羽國」説
(福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
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香春の神と天皇 (その1)
(令和6年1月6日(土) 香春町郷土史会例会)
『応神記』の阿加流比売、『崇神紀』の倭迹迹日百襲姫命、『豊前国風土記』の新羅から河原に来た神が、『魏志倭人伝』に云う卑弥呼であり、『太宰管内志』には、香春ノ神は比売語曽神とある。
したがって、卑弥呼は大辛国(大伽耶国)から来たことになる。後の統一新羅の国である。
『太宰管内志』には、「香春ノ神は比売語曽神」とあるが、上記にある和銅二年に香春神社の祭神は、辛国息長大姫大自命に神の名前が変えられた。
神の名前は、大辛国自りの大(物主の)姫 + 息長帯比売命と卑弥呼に神功皇后の名前を合わせたと考えている。
したがって、息長(神功皇后)という部分を除くと比売語曽神(卑弥呼)ということになるが、現段階では、牽強付会と思われるであろう。
(卑弥呼)
(神功皇后)
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倭国大乱と卑弥呼
(平成三〇年七月八日(日)、主催:田川広域観光協会、於:福岡県立大学大講義室)より
都怒我阿羅斯等の本国、意富加羅国は、任那である。
香春神社の縁起の一節にある「三山」は、香春岳である。石灰岩の山である香春岳が、真っ白な山であったと何度も何度も言ってきた。
その白石の関係するわけである。
『太宰管内誌』にある「香春ノ神」について、香春町役場前に豊前國風土記逸文の石碑が建っている。その中に「昔、新羅の神が、川原に来て、鹿春の神と号した」と書かれている。鹿春と書いて「かわら」であり、「香春の神」と言っている。
香春神社の第一座の祭神が、辛国息長大姫大目命であり、神代に唐の経営に渡らせ給ひとあるが、私に言わせると「唐」は、「韓」と字が間違っている。崇神天皇の御代に御帰国せられ香春一ノ岳に鎮り給ふとあると香春神社が書いている。偶然ですか?
香春ノ神は、比売語曽神社の書き方を変えた。昨日、香春郷土史会の柳井さんから聞いたばかりであるが、比売語曽の「語曽」というのは、神社の「社」という意味である。
昔、オリンピックの選手に村社 講平という方がいました。「社」は、「こそ」である。
比売語曽の固有名詞は、「比売」である。比売大神を祭っている有名な九州の神社が、宇佐神社である。比売大神=卑弥呼となりはしないかと言いたい。
香春神社に任那(後の新羅)からやって来た白石が童女に変わったあの童女こそが、卑弥呼ではないだろうか?
『日本書記』では、大物主神の妻、倭迹迹日百襲姫命である。
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