「邪馬臺國=鷹羽國」説
(福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
※ 第11回古代史講座 古代田川を解き明かす 宗像が末盧国なら邪馬台国は田川だ2
(令和元年六月二日、於 田川青少年文化ホール)より
右図:川崎町の大石神社に伝わる帝階八幡神社縁起の写し
左図:池尻中付近の地図
帝階神社(八幡)は、池尻中の近くにあった
大石神社の「石」の字に「、」が付いている。帝階八幡の写しで「神功天皇」とあり、『日本書紀』では、神功皇后の事を「皇太后」と呼び名を変えている。「石」の字の「、」は、太后を意味するのではないだろうか。
小笠原公が、江戸時代の初め、帝階八幡があまりにも広々と敷地を占めていたので、宮を山の上に上げてその跡を田畑にしたという記録が残っている。これも事実です。
その当時の神職たちが考えて、「太后」を意味する「、」の一角を「石」に付けて、太后神社を大石神社と名付けたのではないだろうかというのが、私の推測です。仮説です。
小笠原公が、帝階八幡を潰したことは、わかっています。
※ 再発見 新発見 田川 川崎町は古代の京だった 神武・神功・應神の軌跡
(令和元年十月二七日(日)、主催 豊の国古代史研究会 、於 川崎町勤労青少年ホーム )より
こちらのページに「帝階八幡神社縁起」の口語訳があります。
※ 倭国大乱と卑弥呼(平成三〇年七月八日(日)、於 福岡県立大学大講義室)より
大三輪神社(田川郡川崎町):大物主神
大物主の神を祭る神社であるが、奈良県桜井市には大神神社があるが、田川の地にもある。田川郡川崎町池尻字後藤寺原に小さな社であるが、大三輪神社がある。祭神が、大物主神とある。
この大三輪神社は、大石神社の第一の別宮と書かれている。
※ 第14回古代史講座古代田川を解き明かす
記紀はなぜ鷹羽の神々を隠したか -壬申之大乱との関わり-
(令和元年12月8日(日)、主催:田川広域観光協会古代史研究会 、於 福岡県立大学 大講義室)より
川崎町の大物主信仰
● 明治初年の記録に川崎町の大物主信仰が残っている
・・・
川崎町池尻の大三輪神社の由緒には、
白雉元年(西暦650年)に池尻村に勧請された大和国の一の宮三輪明神、大神神社とある。
● 奈良県の大神神社は、川崎町の大三輪神社より200年近く新しい
・・・
奈良県の大神神社が、大和国一之宮となったのは、貞観元年(西暦859年)に正一位となった更にその後である。
それでも奈良県の大神神社は、日本で一番古い神社だと言っている。
池尻村(川崎町池尻)の大三輪神社は、何処にあった大和国の大神神社より勧請されたのか?その大和国は、香春しかない。香春岳の何処かに大物主が祀られていた。
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