「邪馬臺國=鷹羽國」説
(福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
※ 新説 日本書紀(第33回 飛鳥時代④/壬申の大乱)
(令和5年2月3日、担当:全国邪馬台国連絡協議会九州支部、会場:嘉麻市射手引神社上山田公会堂)より
「神功皇后紀を読む会」加来野 英俊氏作成のPowerPointを引用
(16)壬申の乱:吹負のその後の行動
倭京軍
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・将軍吹負、倭の地を平定。大坂を越え、①難波の小郡に至る。
・将軍吹負、①難波小郡に留まり、以西の国司等に官鑰・驛鈴・伝印を進上させた。
※ 将軍吹負は、倭を平定。中道(七曲峠)を越えて、①難波の小郡(現・須磨園)へ入り、周防
灘沿いの各国・紀(現築上町)・上毛野(現・豊前市・上毛町)、下毛野(現・中津市)等の
国司に官鑰・駅鈴・伝印を提出させた。
天武の凱旋準備もあったであろう。
これらの国は、近江軍が飛鳥川(現・今川)下流域に上陸したことに依り、参戦出来なかった。
結果として、秦氏等は早く東遷せざるを得なかったか。
※ 「上中下の道」につきましては、講演『白村江の戦いと壬申の乱(令和元年12月1日)』で詳細に説明されて
います。 こちら のページをご参照下さい。