「邪馬臺國=鷹羽國」説
(福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
※ 倭国大乱と卑弥呼
(平成三〇年七月八日(日)、主催:田川広域観光協会、於:福岡県立大学大講義室)より
■ 宮原遺跡は、2世紀の倭国大乱時の「冢」か
香春町にあのような大きな前方後円墳が残っている。この辺りから宮原遺跡という後漢式鏡の内行花文鏡と
箱式石棺が4基出土した遺跡がある。
これは、倭国大乱の前方後円墳であり、2世紀の古墳である。2世紀に田川の土地には、前方後円墳があった。
宮原遺跡は、昭和42年に出版された香春町史では、宮原古墳と書かれている。昭和42年当時の香春町の
教育委員会の人たちは、石棺と鏡が出土しているから古墳の跡だろうという事で、宮原遺跡ではなく、宮原古墳と
名付けていた。
したがって、今日、宮原遺跡と云われているのも古墳であり、このGoogleの写真も古墳である。また、
田川市糒の天神山古墳等、田川の古墳の共通点は、奈良県辺りの前方後円墳と違って、埴輪が出土されていない。
埴輪が出土されていない事は、卑弥呼の墓にも大いに関係する。