「邪馬臺國=鷹羽國」説
(福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
川崎町は古代の京だった 神武・神功・應神の軌跡
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本社大石神社 末社帝階八幡神社
末尾にこの「帝階八幡神社縁起」が書かれた経緯を記す。
当本縁起はとりもなおさず文書は天平宝字年間(757~764)に現れた。古文字であってすでに多くの諸人が読むことができない。私は後世を不安に思い、通用の文字に改める。
天正二年(1572年)六月十六日 社詞 杢之進 謹書
帝階八幡神社の帝階という名前を残さず、なぜ大石神社というのか?は、元々は、太后神社ではなかったのか?。
田原という名前は、神功皇后に仕えた田原麿(麻呂)という人が居たところであろうと考えている。