倭歌は歴史を詠う 「豊国の万葉集」
於:小倉城庭園研修室 記紀万葉研究家 福永晋三
「万葉集」巻第一 70番・72番 (難波宮から吉野宮へ、奈良県だとおかしい)
「万葉集」巻第一の70番歌と72番歌を並べている。何故かというと70番歌にある「吉野宮」、この宮の場所は、中津市山国町吉野である。この宮へ行幸する時は、必ず72番歌にある「難波宮」から出かける。藤原京(福原長者原遺跡)の近く、行橋市の海辺の宮を船で出発する。周防灘を南下し、中津市から山国川を遡り、吉野宮まで船で行く。
吉野宮(若宮神社)前は、川幅が広く、船を並べて川遊びが出来たのである。
70
72
*1
『太上天皇』は、持統天皇。
*2
『大行天皇』は、文武天皇。
近畿の奈良県に京があるとした時には、位置関係がおかしい。奈良県から大阪市の難波宮に行き、大阪湾を南へ下るが、吉野宮へ船で遡る川のルートが判らない。
藤原宮から吉野宮へ行くのであれば、山道を歩いて行けば早く行ける。何故、難波宮へ出て船で南下した後に険しい山を越えて吉野宮へ行くのか?
通説の万葉学者はの方々は、地理音痴なのでしょうか?
福岡県に京があるとすれば、万葉集の歌にある通りに船で吉野宮へ行幸出来る。天皇が、御御足で山道を歩かなくても行くことが出来る。
藤原宮(福原長者原遺跡)から行橋市の海岸に近い難波宮に出て、そこから船で周防灘を南下し、中津市の山国川の河口から川を遡り吉野宮(若八幡神社)の前まで船で行ける。