「邪馬臺國=鷹羽國」説
(福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
倭国大乱は呉越の戦い⁉
■ 神武天皇、邪馬台国 = 倭国を創始
● 饒速日尊の建てた天満倭国(倭奴国)を神武天皇が侵略してきた
・・・ 次に筑豊の土地に神武天皇が侵略してきた。その神武天皇の出身地を菊池・山鹿だと言い切っている。
呉の人々がやって来た所の出身である。ちょっとして、呉王夫差の子孫かも知れないが、証拠はありません。
DNAが見つからない限りは。
菊池・山鹿の地で生まれた神武天皇が、筑豊の国へ侵略してきたのが、「神武東征」ではないかという
豊前王朝説の大芝英雄氏の後を受け継いで『古事記』『日本書紀』から詳しく解き明かしたらどうも
事実ではないだろうかとなってきた。
神武天皇は、山鹿の日向から博多湾岸に出てくる。その途中で滅ぼしたのが、大室屋(吉野ヶ里遺跡)
である。
豊国(豊前)側では、西暦107年に倭国王帥升が後漢の安帝に生口(奴隷)一六〇人を出している。
神武東征は、『日本書紀』の分析から1回ではなく、2回あったと解明した。第一次東征では長髄彦軍に
敗戦し、引き揚げてきたのが、博多湾の草香津である。その草香津は、大濠公園の所で池が海だった頃で
ある。
五月に五瀬命が亡くなり、竈山に葬ったとある。竈山は、和歌山県では、ありません。大宰府の宝満山で
ある。その竈山の宮に留まって、3年間再軍備をしたと考えられる。
● 日向から博多湾岸委に出る途中、お佐賀の大室屋(吉野ヶ里遺跡)を陥落
・・・ このお佐賀の大室屋を滅ぼした時に生まれた言葉が、「おしゃかになる」ではないかと九州弁で
考えている。「おさかになる」ではなく、「おしゃかになる」である。
「お釈迦になる」は、お釈迦様になるのだから、良い事である。何故、ダメになるのか、国語の
教師をしていて、生徒に聞かれて困っていた。
「お佐賀の大室屋」=この大きな建物が潰れたから ⇒「おしゃかになる」(福永語源説)。
● 神武第二次東征は、「日を背にして戦う神策」を実行
・・・ 第一次東征では敗れたので、遠賀湾の北側から攻めるのは拙かろうと今度は、南の宮崎方面に
回って、そこから豊予海峡を北上していく。早吸日女神社のある所から珍彦が道案内をする。
英彦山の南側の地を手なずけてから、いよいよ英彦山の北側、豊国(豊前)の国を攻める。
・・・ 求菩提山にある江戸時代の木造である。ちょうど、八箇( やたり )いる。八箇烏、八咫烏である。
その八咫烏の起源は、インド方面のガルーダ神である。ガルーダ神を祭る人々だろうと考えている。
頭が鷲、体は人間、背中に翼。全体が金ぴかである。上にヴィシュヌ神をのせている。
・・・ 英彦山から中洲(今の香春から直方辺り)へ進軍していく。
菟田の穿邑は、川崎町の中元寺川の甌穴群のある辺りである。この場所の上の所に 天降神社 という
神武天皇が立ち寄ったという伝承がある神社がある。
豊前川崎町の「川崎」というのは、神武天皇が名付けたと『川崎町史』に書かれている。
・・・ 『日本書紀 神武天皇紀』の半分くらいは、神武天皇の天香山の攻略のことについて書かれている。
攻めた敵が、赤銅の八十梟帥であり、銅の採れる山、香春三ノ岳が天香山に決まっている。奈良県には、
絶対に存在しえない。
立岩神社 に写真のような折られた石がある。これは、天磐船(あまのいわふね)という饒速日が
侵略の際にあちこちに建てたモニュメント(記念碑)である。
その船体の石の部分が、真っ二つに折られている。これが、神武天皇が、立岩に来たという第一次
証拠だと思っている。
立岩遺跡からは、弥生時代の人骨も出ている。
・・・ 立岩式石包丁が出土されている遺跡から絹が巻かれた鉄剣・鉄矛が出土している。弥生時代の絹で
ある。筑豊では、弥生時代から絹が織られていた。
弥生時代に今も大工が使う「やりがんな」が使われていた。柱がツルツルに削られていて、その
御殿が紀元前の時代に添田町に建てられていたという証拠となる。
・・・ これは、邪馬台国の会が出している資料である。弥生時代の絹は、青・緑・橙色の下の線の遺跡から
出土している。圧倒的に北部九州である。奈良県は、赤線の遺跡、古墳時代である。
卑弥呼は、『魏志倭人伝』の中で絹は、倭錦と書かれている。それを献上している。また、茜草で
染めた絹、「絳」という文字も書かれている。『魏志倭人伝』を正確に読むとそのようになる。
奈良県には、弥生時代の絹が出土された遺跡がない。だらか、奈良県に卑弥呼が居たハズが無い。
巻向遺跡を邪馬台国の卑弥呼の遺跡として発掘している学者たちは、みんな詐欺師?絶対にありえない。
水田跡も碌々ないし、どのようにして、7万人戸の人を養うのでしょうか?
・・・ 長髄彦と戦った場所、鳥見野が、 直方市頓野 と思われる。
戦前は、この時に金色のトビが飛んできて、神武天皇軍を助けた。ピカッーと光って、敵の眼が眩んで
神武天皇が勝利することができたというのは、有名な話である。
金色のトビの正体は、八咫烏である。八咫烏一族が、鏡を沢山作って持ってきて、太陽光で敵の眼を
眩ましたのではないだろうか。
八咫烏の鏡の「烏」を省くと八尺鏡(やたかがみ)である。この神話の奥にあるのは、三種の神器の
八尺鏡は、八咫烏の鏡であると考えている。これも福永説であるが、何一つ証拠は、ありません。
● 神武天皇が建てた国が、邪馬台国である。倭国である。
・・・ 考古学の人たち、歴史学の先生、教科書がみんな、邪馬台国を「やまたい国」と読むが、『古事記』、
『日本書紀』、『万葉集』、それから『続日本紀』、『続日本紀』の平安時代の六国史に至っても、
この「台」の字は、「と」と読ませている。
元々この「邪馬台国」は、「やまと国=倭国」である。日本の古典では、「邪馬台=やまと」である。
歴史学者たち、特にNHKの番組に出演する学者たちは、碌々日本の古典を読んでいない。
「邪馬台=やまと」と読むが、奈良県(大和)に「邪馬台国」があったとは、言っていない。
「邪馬台国」は、筑豊である。当然、卑弥呼も筑豊にいた。
卑弥呼は、神武天皇の即位の80年後の西暦200年に即位している。
倭国大乱の原因は、神武天皇と一緒に倭奴国を倒した正統の跡継ぎ、火国の王の血筋を引いた手研耳命
大王が殺されたからである。
「豊国 対 火国」の争いである。これが、倭国大乱の大きな構図である。