「邪馬臺國=鷹羽國」説
(福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
真実の仁徳天皇(香春版)
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(*)タイトルの本題に入る前の以下の項目につきましては、他の掲載ページをご参照下さい。
◆ 天御中主からまで彦瀲尊の王は、豊国にいた
・・・ 『宋史』日本國(王年代紀)に伊弉諾尊、素戔烏尊、天照大神尊他二十三世とある。
◆ 饒速日(天照大神)対 素戔烏尊
・・・ 素戔烏尊の 出雲王朝 の土地に饒速日が侵略してくる(天神降臨)。
◆ 天満倭国=倭奴国成立
・・・ 倭奴国王が後漢の光武帝に遣使し金印を受く。樂浪郡(平壌)まで倭人が出かけて
行った。距離一万二千里は、倭人が測った。
◆ 神武第二次東征で倭奴国が滅亡。倭国=邪馬台国創始
・・・ 魏志倭人伝に卑弥呼共立の前の七、八十年は、男王が治めていたとある。
◆ 卑弥呼即位から遣魏使
・・・ 『翰苑』魏略、槐志、『隋書』俀國、『紹興本』魏志倭人伝から帯方郡から
倭・女王國に至るまでの距離、国名を明らかにする。
帯方郡はどこか、水行十行、末盧國はどこか、伊都国の 「都」の読みは「つ」 、
万葉仮名 「臺」「苔」の読みは「と」 を明らかにする。
◆ 神功征西により紀氏王権が並立する
・・・ 神武天皇が建てた邪馬台国が一旦、滅亡する。神功天皇は、武内宿禰と一緒に筑紫国に
水沼の皇都 を建設し、倭五王の王権が成立する。
『古事記』『日本書紀』は、久留米に都がある時代の豊国側の天皇の記録であり、
弟国である。今日の本題の仁徳天皇もこの豊国側の天皇である。
■ <豊国史> 真実の仁徳天皇/大鷦鷯の乱
● 應神天皇の皇太子(次期天皇)は、菟道稚郎子
● 太子菟道稚郎子は、王仁から教養習得し、また、太子としても活躍
● 應神天皇から髪長比賣を賜った太子は、菟道稚郎子
● 菟道稚郎子が即位して、宇治天皇となり入った宮が菟道宮
● 大鷦鷯尊の難波高津宮と宇治宮の間にあるのが、味見峠
● 『古事記』の仁徳天皇が国見した高山の読みは、「かぐやま」
● 『百人一首』天智天皇の歌は、『古事記』仁徳天皇の話がモチーフ
● 『百人一首』持統天皇の歌は、髪長媛皇后の歌と断言
● 『万葉集』2番歌は、宇治天皇が国見に登られて詠われた歌
● 宇治天皇の新宮殿が完成した後に詠まれた歌が、万葉集7番歌
● 菟道稚郎子のかつての師匠、王仁の「難波津の歌」
● 宇治市の県祭りの梵天のブン回しは、宇治天皇の最期のようだ
● 『万葉集』巻二の冒頭の四首は、磐姫皇后の歌ではなく、髪長媛皇后に託して読まれた
● この歌に出てくる高山(たかやま)は、行橋市入覚の幸ノ山だった
● 中大兄の三山歌では「高山」を「かぐやま」と読ませているが、「たかやま」と読み替える
● 後古波儾嬢女(こはだをとめ)は、宇治の地(木幡村)の嬢女、髪長媛皇后を指す
● 宇治天皇の墓は、御陵とも云われる伽羅松の地か?
● 古宮八幡宮の神幸祭は、宇治天皇を偲んでいると推測している
● 宇治天皇が殺したとされる大山守皇子も大鷦鷯が、香春(=考羅)で殺した
● 王仁の「難波津の歌」が、大鷦鷯への諷歌(そえうた)に変わる
● 女鳥王が、本当に「雀(さざき)取らさね」と詠んだ歌か?
● 女鳥王と速總別王の逃避行の障害となった倉椅山は、鞍手町の飯盛山である
● 女鳥王と速總別王の逃避行のルートは、奈良県(大和)では成り立たない