「邪馬臺國=鷹羽國」説
(福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
ヤマトタケルの負けた理由
■ 卑弥呼の墓は殉葬墓であり、箸墓は卑弥呼の墓でない
● 卑弥呼の名前に「弓」の文字が入っている狗奴国王の卑弥弓呼に卑弥呼は負けた
● 敗れた結果は「卑弥呼以死」であり、墓の直径「徑百餘歩」も色々な文献から解る
● 赤村内田にある巨大前方後円型地形が、卑弥呼の墓ではないか
・・・ 平成30年3月に赤村内田にある巨大前方後円型地形が、卑弥呼の墓ではないだろうかと発表した。
考古学の先生達から、自然地形だとけちょんけちょんにやられました。
・・・ 1970年の写真であるが、周濠の跡が残っている。
・・・ この前方後円型の造出(つくりだし)の部分からは、土器片が出土している。祭祀(さいし)されていた。
祭祀の跡があって、古墳でない訳がないであろうと思っている。
● 『垂仁紀』の中に卑弥呼の墓のような人の殉葬から土物(はに)を立てるしきたりにしたとある
・・・ 野見宿祢に陶器を造る土地を与え、土部臣(はじのおみ)といったとある「はじ」の場所は、 桂川町土師 で
ある。
・・・ 後の時代になる埴輪であるが、飯塚市小正西古墳から巫女形埴輪や馬形埴輪が出土している。
飯塚市小正西古墳(古墳時代後期)から出土した巫女形埴輪(右)と馬形埴輪
<飯塚市歴史資料館所蔵>
・・・ 赤村内田の前方後円型地形が、卑弥呼の墓であると言っている理由の一つは、奈良県の箸墓からは
写真のような埴輪が出土されているから絶対に卑弥呼の墓では無い。
卑弥呼の墓は、殉葬墓である。埴輪が立てられるようになる前の墓である。