「邪馬臺(やまと)國=鷹羽國」説
    (福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)


※ ヤマトタケルの負けた理由
 (平成30年12月15日(土)、主催:田川広域観光協会、於:福智町金田分館)より

 ヤマトタケルの負けた理由

■ 日本武尊が活躍した土地は、邪馬台(やまと)国、つまり豊国である

● 倭国は、豊国が中心である

・・・ 通説にある日本武尊の話は、全て豊国での起きた話である。この豊国内にある香春岳では、金・銅が
   採れる。また、磁鉄鉱も採れる。条件が揃っている。
    弥生時代の鉄鏃は、ここ豊国と筑紫国の南、狗奴国(現在の熊本県・大分県)からは沢山出土しているが、
   奈良県からは、ゼロである。

    邪馬台国と狗奴国の戦争は、豊国と火国で起きている訳である。倭建命の名は、(やまと)と付いている
   から邪馬台(やまと)国の土地の人物である。

新北(熟田)津に 船乗りせむと  
   月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな
Google Earth「福岡県Flood Maps」

倭国地図

 

● 日本武尊は伊都国の王であり、出身は贄田(にぎた)物部である

・・・ 伊都(いつ)国には、一大率を置いていて、軍事的に邪馬台国を牛耳っていた。倭建命は、この一大率の
   出身だと考えている。伊都国の王である。贄田(にぎた)物部の出身である。

魏志倭人伝
 女王国より以北には、特に一大率
を置き、諸国を検察せしむ。諸国、
之を畏れ憚る。
 常に伊都国に治し、国中に於いて
刺史の如き有り。
 王使を遣はして京都・帯方郡・
諸韓国に詣らしめ、及び郡の倭国に
使するや、皆に臨みて捜露し、
文書・賜遺の物を伝送して女王に詣
らしめ、差錯するを得ず。
(中略)
「古遠賀湾図」

 

写真「鞍手町新北」

新北津跡

 

● 金・銅が採れた天香山香春岳であり、そこからは磁鉄鉱も採れた

・・・ 金・銅が採れた天香山が、香春三ノ岳である。天香山の畝の尾っぽの山、畝尾山が一ノ岳で、そこからは
   磁鉄鉱が採れた。
    金山という名前が付いた宮原金山遺跡もバイパス道路工事の時に平安時代の製鉄跡が出土している。私は、
   更にもっと下に古い時代の製鉄跡が出土するのではかと期待している。

 座 香山之畝尾木本 名泣澤女神

写真「香春岳(昭和十年)」

 

・・・   香春神社 の縁起の書かれているように石灰岩の山である香春岳は、白石の山だった。

「新説 日本書紀」 福永晋三と往く
垂仁天皇
 香春神社の縁起の一節に、「韓地に
於ける大姫命の霊
は、実に白石の玉
示し給う。
 しこうして、この三山は白石幽妙(ゆうみょう)
の神縁
なり。
 けだし、上古より、この山に臨座有
り」とある。
 「太宰管内誌」にも、「谷川氏云う、
香春ノ神は又比売語曽神社と号す」と
ある。
 (『古宮八幡宮と宇佐神宮の御神鏡』
から採録)
 繰り返すが、真の「倭三山」(香春
岳)は白石の山だったのである。

 

● 呉王夫差の子孫が来た菊池川流域狗奴国、越王勾践の子孫が倭人であり倭国遠賀川流域である

・・・ 『魏略』の中に熊本県の菊池の土地に来た呉の人々の王夫差の祖が書かれている。この土地が狗奴國で
   ある。その王に拘右智卑狗がいた。
    拘右智卑狗たちの昔語りの中に「太伯の子孫である」と謂っている。つまり、①は呉王夫差と呼ばれる
   人の先祖の記録である。

    ②は、中国春秋時代の長江下流域の国の話である呉越の戦いの越王勾践の祖先のことが書かれている。
   『魏志倭人伝』は、①の部分はカットされている。魏の敵国の呉という国名の記録であるから、春秋時代の
   国であっても呉という国名の記録は書かない。

    越の人々は、「斷髮文身」するとあり、入れ墨をしていると書かれている。「倭人亦文身以厭水害」と
   あり、倭(やまと)の人である。
    この事から呉の太伯の子孫は、長江流域から熊本県の菊池川の流域に来た。狗奴國である。夏后少康之子を
   祖とする越王勾践の子孫たちは、倭人であり倭国に来ている。遠賀川流域である。
    狗奴國、倭国とも鉄が採れる。鉄の遺跡がいっぱいある。

『魏略』中の火国の記録
文身點面猶稱太伯之苗
魏 略 曰 , 女 王 之 南 , 又 有 狗 奴 國
女 男 子 為 王 , 其 官 曰 拘 右 智 卑 狗
不 屬 女 王 也 . 自 帶 方 至 女 國 万 二 千
餘 里 .其 俗 男 子 皆 點 而 面 文 . 聞 其
舊 語 , ①自 謂 太 伯 之 後②昔 夏 后
少 康 之 子 封 於 會 稽
, 斷 髮 文 身 以
避 蛟 龍 之 吾 . 今 倭 人 亦 文 身 以 厭
水 害.
① 呉の太伯は「姫氏」 夫差の祖
 狗奴国は菊池川流域菊鹿盆地
② 夏后少康之子越王勾践の祖
 倭人(倭国)遠賀川流域

・・・ 香春町採銅所の干し柿が、『日本書紀 垂仁天皇記』に書いてある非時(ときじく)香菓(かぐのこのみ)
   ではないだろうかと考えている。

「新説 日本書紀」 福永晋三と往く
垂仁天皇
 阿羅斯等と同工異曲の伝説がある。
 (あめの)日槍(ひほこ)但馬国(兵庫県)に定住し
た。
 5代の孫が田道間(たじま)(もり)である。使者と
なり、10年を経て常世(とよ)=豊国
から「八竿八縵(やほこやかげ)非時(ときじく)香菓(かぐのこのみ)」を携え
て帰国したが、聖帝は死んでいた。
陵の前で「おらび哭き」、自死した。
 八竿八縵の非時の香菓が、どうやら
豊前の串柿・吊し柿(干し柿)のよう
である。
 田道間守は但馬国と豊前国とを往来
したようである。