「邪馬臺國=鷹羽國」説
(福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
ヤマトタケルの負けた理由
■ 日本武尊が活躍した土地は、邪馬台国、つまり豊国である
● 倭国は、豊国が中心である
・・・ 通説にある日本武尊の話は、全て豊国での起きた話である。この豊国内にある香春岳では、金・銅が
採れる。また、磁鉄鉱も採れる。条件が揃っている。
弥生時代の鉄鏃は、ここ豊国と筑紫国の南、狗奴国(現在の熊本県・大分県)からは沢山出土しているが、
奈良県からは、ゼロである。
邪馬台国と狗奴国の戦争は、豊国と火国で起きている訳である。倭建命の名は、倭(やまと)と付いている
から邪馬台(やまと)国の土地の人物である。
● 日本武尊は伊都国の王であり、出身は贄田(にぎた)物部である
・・・ 伊都(いつ)国には、一大率を置いていて、軍事的に邪馬台国を牛耳っていた。倭建命は、この一大率の
出身だと考えている。伊都国の王である。贄田(にぎた)物部の出身である。
● 金・銅が採れた天香山が香春岳であり、そこからは磁鉄鉱も採れた
・・・ 金・銅が採れた天香山が、香春三ノ岳である。天香山の畝の尾っぽの山、畝尾山が一ノ岳で、そこからは
磁鉄鉱が採れた。
金山という名前が付いた宮原金山遺跡もバイパス道路工事の時に平安時代の製鉄跡が出土している。私は、
更にもっと下に古い時代の製鉄跡が出土するのではかと期待している。
二
一
・・・ 香春神社 の縁起の書かれているように石灰岩の山である香春岳は、白石の山だった。
● 呉王夫差の子孫が来た菊池川流域が狗奴国、越王勾践の子孫が倭人であり倭国は遠賀川流域である
・・・ 『魏略』の中に熊本県の菊池の土地に来た呉の人々の王夫差の祖が書かれている。この土地が狗奴國で
ある。その王に拘右智卑狗がいた。
拘右智卑狗たちの昔語りの中に「太伯の子孫である」と謂っている。つまり、①は呉王夫差と呼ばれる
人の先祖の記録である。
②は、中国春秋時代の長江下流域の国の話である呉越の戦いの越王勾践の祖先のことが書かれている。
『魏志倭人伝』は、①の部分はカットされている。魏の敵国の呉という国名の記録であるから、春秋時代の
国であっても呉という国名の記録は書かない。
越の人々は、「斷髮文身」するとあり、入れ墨をしていると書かれている。「今倭人亦文身以厭水害」と
あり、倭(やまと)の人である。
この事から呉の太伯の子孫は、長江流域から熊本県の菊池川の流域に来た。狗奴國である。夏后少康之子を
祖とする越王勾践の子孫たちは、倭人であり倭国に来ている。遠賀川流域である。
狗奴國、倭国とも鉄が採れる。鉄の遺跡がいっぱいある。
・・・ 香春町採銅所の干し柿が、『日本書紀 垂仁天皇記』に書いてある非時(ときじく)の香菓(かぐのこのみ)
ではないだろうかと考えている。