「邪馬臺國=鷹羽國」説
(福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
第二次神武東征
(東征が成就し、倭奴国内の掃討戦を行う)
*.倭奴国の残党がいた場所
*.添田町の「金の原遺跡」の隣の「庄原遺跡」から「やりがんな鋳型」が出土
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「庄原遺跡」の「やりがんな鋳型」の説明は、中元寺の瀬成神社のページをご覧下さい。
*.日本書紀にある地名が、添田町に揃っている
*.中洲(立岩丘陵)も磐余邑のひとつ
*.神武東征のハズが、何故「出レ軍西征」の文句があるのか?
*.倭奴国の残党がいた場所(その2)
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日本書紀に書かれている「城田」の地名と同じ地名が、平安時代中期に源順が編纂した辞書である『和名類聚抄』の中に田川郡があり、そこの一つに城田郷がある。
その場所は何処か? googleマップで示す通り福智町の金田周辺である。ここは、『田川郡誌』に書かれた13ヶ村のひとつ金田村である。
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平安時代の『和名類聚抄』には、城田郷であった土地が、鎌倉時代には金田荘に変わったという仮説である。
この「金田荘」の読みは、「金田(きた)」である。というのは、香春町を流れている金辺川は、「きべ川」という。だから、「金田荘」は、本来「きたの荘」であろう。
福智町金田が、神武紀にある「城田」であると気が付いた。
天香山
耳成山
畝尾山
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天香山は、香春岳三ノ岳である。そこの埴土を取った。
*.倭奴国掃討戦(京築方面)
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「大倭の耳梨の村」は、香春岳二ノ岳の麓辺りか?
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春日神社(田川市宮尾町)から西の方角に船尾山(田川市弓削田)がある。
下稗田遺跡のすずり
鋳造鉄斧
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天照神社(宮若市磯光)の祭神:天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊
白庭神社(苅田町与原)では、天照國照彦天火明命、櫛玉命、饒速日命の三柱