「邪馬臺國=鷹羽國」説
(福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
[倭奴国の成立以前 = 出雲王朝の記録か (素戔鳥尊より前の時代の記事)]
■ 論衡
倭人は、周(紀元前一〇四六頃~紀元前二五六年)の初めから鬯草を献上していた。
■ 『漢書』地理志
倭人の国は柔順な人達の国で、孔子が弟子の子路仲由に海に浮かんで筏に乗って東の方へ行こうか。その時、
お伴するのはお前くらいだろうなと言った。
孔子が本国は春秋戦国時代で礼儀が失われてしましたので、東方の理想的な国へ行こうかと言った。柔順な
東夷だから倭人という。
(これが、倭人の名前の由来。したがって、「倭」は良い意味。)
倭人の国百余国と 東鯷人の国 に二十余国が日本列島上にあったと記す。
<論衡/『漢書』地理志>
<出雲王朝の最大領土>
■ 出雲王朝の最大限の領土は、「出雲王朝の版図は?」が示すように銅鐸文化圏の国(素戔鳥尊の国)へ銅矛
文化圏の国(侵略者、天神饒速日尊たち祭祀道具)がクサビを打つように入ってきた。
吉野ヶ里遺跡 から銅鐸が出土されたように、中心は、豐国にあった銅鐸文化圏の国が分断された。
*. 宋史 日本國(王年代紀) によれば、素戔鳥尊は、天照大神尊より先の王であり、素戔鳥尊の出雲王朝が
先に豊国に成立。( 素戔鳥尊の倭国北伐 )