「邪馬臺國=鷹羽國」説
(福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
川崎町は古代の京だった 神武・神功・應神の軌跡
■ 神武天皇の第二次東征 / 倭国=邪馬台国創始
求菩提山 に祀られている豊前坊は、大物主であり、大己貴神(オオナムチ)でもある。八咫烏を昔の絵本だと
カラスしか書かれていない。違う。八咫烏は人間である。道案内をカラスは出来ない。
菟田の穿邑は、中元寺川にある甌穴群の穴のことである。ここにある一番大きな穴が大釜・小釜という所だったと思う。
今は、削られてしまっている。たぶん岩の上に直径2、3㍍の大きな穴があいてたと思う。この穴を称して、菟田の穿邑の村と
いった。『日本書紀』に書かれた記事は、この甌穴群の穴が証拠であろうと考えている。
この大釜・小釜の直ぐ上に 天降神社 がある。この天降神社の祭神、天降神は鸕鶿草葺不合尊で神武天皇の父親である。
ここには、『古事記』『日本書紀』には書かれていない神武天皇の従祖父まで出てきている。これが現地伝承の面白さである。
『古事記』『日本書紀』には天香山からは、金・銅が採れたと書かれている。奈良県の天香久山からは、何も採れない。
この 香春三ノ岳 が本物の天香山である。
*.熊野の神邑は、飯塚市の 熊野神社 である。
最後に長髓彦を滅ぼしたことによって、倭奴国が滅亡。博多の志賀島から出土されたとする金印も出鱈目な読み方
「かんのわのなのこくおういん」とされるが、単純に「(かんの)いぬこく(おういん)」である。
川崎町に猪国(いのくに)という地名がある。田川市に猪膝(いのひざ)という地名もある。
その「いのこく、いぬこく(倭奴国)」でもある。倭奴国を滅ぼして、豊国にまた新しい王朝を建てたのが、神武
天皇である。
立岩の所で火山ガスに当ったと『古事記』『日本書紀』に書かれている。奈良県では、火山ガスににあたることはない。
1世紀の由布岳の噴火
この噴火は火山礫や火山岩片が噴出されるラビリ噴火と知って
しまうと、紀や熊野神社(飯塚市)社記の話の辻褄があう。
神武が立岩攻略の時に遭遇したのは、将にこの噴火である。熊野
神社の社記によると、突然、噴火が始まって、激しい風雨を伴って、
切れ切れの噴煙の塊や岩や石ころが飛んで来たようである。
その後は、紀によると、立岩攻略後、船に乗ったところ嵐に遭って
2人の兄を失う。熊坂津で上陸後、火山ガスに中って神武軍は全員
倒れてしまう。そこを高倉下に助けられたとのこと。
邪馬台(やまと)王朝が香春に興る。121年、即位した橿原宮は、香春町の鶴岡八幡神社だと言い切った。
その後、神武天皇は亡くなるが、『魏志倭人伝』にその事が書かれているといつも言っている。神武天皇が亡くなった後、
直ぐに倭国大乱が起きる。