「邪馬臺國=鷹羽國」説
(福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
古くからの修験道の霊地で彦山豊前坊という天狗が住むという伝承がある。豊前坊大天狗は九州の天狗の頭領と
言われている。
※ 第二次東征、頭八咫烏の案内で英彦山を下るは、「 邪馬臺国(邪馬台国)年表 」の 118年 七月 です。
※ 福永晋三先生のタイトル「邪馬臺国の位置と年表」の資料
「 邪馬臺国の位置と年表改訂版 」の8ページに
『121年 邪馬台国創始。二月、論功行賞。頭八咫烏、亦賞の例に入る。 求菩提山 ・ 英彦山から川水系に沿って、
今日の田川郡 赤村より 烏尾峠 辺りまでの「 飛ぶ鳥の明日香 」の地の領有を認められたしい。』の記述があります。
※ 福永晋三先生のタイトル『天香山事件』の資料「 天香具山争奪戦 」の1ページに「天神降臨=倭国の草創」の
中に「天の忍穂耳命は 英彦山(日子山)に降臨、「瓊瓊杵命(ににぎのみこと)の建国に偉業に助力された。
(英彦山神宮由緒)」の説明があります。
*.英彦山神宮は、福岡県田川郡添田町英彦山に鎮座。古くは日子山とも記し、祭神は天照大神の子天忍骨尊
(天忍穂耳命の別名)で伊佐奈伎尊、 伊佐奈美尊を相殿にまつる。
※ 古事記を読む-神武から景行まで
(平成28年9月25日、於 添田町町民会館)の講演より
■ 日子山(ひこさん) ・・・ 天照大神(男神、饒速日尊)=「日の神」の子、天忍穂耳命を祀る山という意味
英彦山神宮御本社(上宮)= 天村雲命を祀る
素戔鳥尊が退治した矢俣遠呂智退治の尾から出てきた剱が、『古事記』では、「都牟刈の太刀」であり、これが
「草薙の劔」。『日本書紀』では、本の名が「天叢雲劒」。=天村雲命が持っていた劔。( 素戔鳥尊の豊国北伐 )
英彦山神宮 = 天忍穂耳命を祀る
天照大神(男神の天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊)=伊勢神宮(元伊勢:磯宮= 天照神社 )の御子、天忍穂耳命が
御祭神であるから、「日子山」と呼ばれている。
(注)令和2年2月23日、鷹羽の神々の盛衰に見る「王朝交替」の講演時に上記の文献の説を訂正。
大物主 (= 摩志阿斯訶備日子遲神)が祭られているから日子山である。
※ 「やまと」の語源は、「山門」と書く「山の入り口」の説と「山処」と書く「山のある処」の説、この2つの仮設が
有力である。ここでいう山は、どこの山か?聖なる山。「英彦山(日子山)」以外の何物でもない。
「山門」説は、「英彦山」に至る所。遠賀川の河口から英彦山は見える。ここが、「日子山」に至る入り口の場所、
山門(やまと)。「山処」説は、英彦山のある処。「日子山のある処の国」、山処(やまと)。
したがって、遠賀川の河口から添田町が、すべて「やまと国」である。
※ 福永晋三先生のタイトル『「天満倭」考-「やまと」の源流』の
資料(平成16年如月) の9ページに「山門」説、
「山処」説の記事があります。
※ 第13回古代史講座古代田川を解き明かす
鷹羽の神々 -倭成す大物主-
(令和元年十月二〇日(日)、主催 田川広域観光協会古代史研究会 、於 福岡県立大学大講義室)より
彦御山宝印 に描かれている三羽の鷹の真ん中が、『古事記』の最初に登場する天御中主である。
※ 第14回古代史講座古代田川を解き明かす
記紀はなぜ鷹羽の神々を隠したか ‐壬申之大乱との関わり‐
(令和元年12月8日(日)、主催 田川広域観光協会古代史研究会 、於 福岡県立大学 大講義室)より
彦山の鷹巣山の真ん中の女神である 瀬織津姫 (天御中主)を消した張本人が法蓮である。
※ 鷹羽の神々の盛衰に見る「王朝交替」
第15回古代史講座 古代田川を解き明かす
(令和2年2月23日(日)、主催:田川広域観光協会古代史研究会、於:OTOレインボ―ホ―ル)より
元々は神仏習合だったので、英彦山神宮の 奉幣殿 は、元は霊仙寺の大講堂であった。
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