「邪馬臺國=鷹羽國」説
(福永晋三先生の倭歌が解き明かす古代史)
お 断 り
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神武朝は中国正史に謂う「邪馬台国」、景行紀歌謡に謂う「夜摩苔」、すなわち日中の史書に謂う「倭国」の建国でもあり、その国は必然的に、古代の「豊国(豊前・豊後)」とその周辺である。
萬葉集から取り出したのですが、古代の倭国には海があった。遠賀川の流域が大きな入江になっていた。ここが、近つ淡海である。また、行橋市のところも入江になっていた。そこが、遠つ淡海である。
萬葉集七番歌に詠われた「新北(熟田)津」が、鞍手町町の新北本司の場所であろう。その倭王朝がここ豊国にあったという根拠をこの香春岳から確認した。この山こそが本物の倭三山である。
『古事記』、『日本書紀』、『萬葉集』に書かれた天の香山というのは、特に『古事記』、『日本書紀』においては天香山からは金が採れた。また、銅が採れた。近くからは鉄も採れたということが、神代の巻に記されている。
奈良県の天香具山は、金属は何も採れない。香春三ノ岳横鶴鉱山から20世紀に自然金も採掘されている。金も銅も採れるこの山が天香山に間違いないであろうというのが、倭国=豊国説の根幹である。
戦後史学からの脱却!& 倭国 = 豊国説‼
(Ver.2020年11月1日「ここにあり 邪馬臺国!」より)
① GHQの占領政策(「神を語るな」)から
解放されること。
② 戦後史学の「邪馬台国畿内説」や「大和
王朝近畿発祥説」から解放されること。
③ 筑豊・田川の神々を尊重し、筑豊の古伝
承を大切にすること。
④ 筑豊の人々が自分と自分の土地の遺跡に
自信と誇りを取り戻すこと。
※ 筑豊が元気になれば、古代史が正しい姿
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倭国=豊国説・邪馬台国田川説(福永説)
① 記紀は豊国中心の史書(倭国~日本国の歴史)
② 英彦山から沖ノ島までの遠賀川流域こそ倭国
(邪馬臺国)
③ 神武・卑弥呼・神功・天智は豊国側の王
④ 倭の五王と阿毎多利思比孤(日出処天子)
・天武は筑紫側の王
⑤ 壬申の乱も豊国での戦い
⑥ 平城京は桂川町にあった → 延暦三年(784)
長岡京に遷都
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お 知 ら せ
<香春岳こそが、本物の倭三山>
天香山
耳成山
畝尾山
<昭和十年の香春岳>
<悠久の歴史を秘めた日子山>
論 文 紹 介
(注) この論文は「越境としての古代」の
元原稿を先生の許可を頂き掲載して
います。
■ 天香山事変
■ 「綜麻形」考
■ 真実の仁徳天皇
■ 鷦鷯取らさね
■ 川崎町の大物主神信仰 (H30.8.22)
(注) 以下の項目を クリック して、福永説(「邪馬臺國=鷹羽國」説)の詳細をご覧下さい。
▶ 福永晋三先生の「邪馬臺國=鷹羽國説」の講演動画もありますので、 こちら からご視聴
下さい。
講演会の資料紹介(2024年)
▶ 香春の神と天皇(その1〜3)
(2024年10月6日作成)
▶ 千手氏と天智天皇(2024年2月26日)
(部分のページ一部作成)
▶ 香春の神と天皇(その4)
(2024年10月6日作成)
講演会の資料紹介(2023年)
▶ 宮若市・鞍手郡の古(いにしえ)(令和5年9月30日)
(2024年2月7日作成)
▶ 伊都(いつ)国の歴史(令和5年11月26日)
追加部分のみ作成(2024年3月22日)
講演会の資料紹介(2020年)
▶ 飛鳥時代の遣隋使・遣唐使(令和2年9月22日)
(有料動画の無料公開部分の紹介ページ)
▶ ここにあり邪馬臺国!(令和2年11月1日)
田川古代史フォーラムより
▶ 邪馬台国研究 戦後の諸問題2(令和2年11月23日)
(有料動画を無料公開しています。)
講演会の資料紹介(2019年)
▶ 倭歌が明かす豊国の古代史(平成31年4月27日)
後半:中津市での講演につき、『懐風藻』『万葉集』
『続日本後紀』の組み合わせから吉野を明らかにする
▶ 鷹羽の神々 - 倭成す大物主 -(令和1年10月20日)
令和1年11月2日(土)改訂版 鷹羽の神々 ---倭成す大物主---
を追記
したがって、現天皇家= 倭王朝は、古代
豊国に成立した。現代に続く「豊」の名残りとして、豊明殿と呼ばれる国賓を招いて行われる宮中晩餐会などの主会場となる宮中の宴会場があり、豊明殿の名称は、宮中の節会の一つ、豊明節会から命名されている。
また、壁面には、つづれ織りによる 豊幡雲の装飾がある。
わたつみの 豊旗雲に 入日射し 今夜の月夜
さやに照りこそ